雰囲気で気取ったタイトルを付けましたが、哀れなオタクのキモい独り言日記です(タイトル借りた原曲は滅茶苦茶良い曲なので是非。頭痛に効きます。)
最近は生活の3割くらいをVtuberに占有されている。今までアニメ視聴に費やしてた時間の1/3くらいは今はVの配信を見る時間に切り替わってしまった。
昔は絵畜生だなんだと言いつつ、最近はどっぷり沼に完堕ちしてしまった。メスガキ敗北みたいで情けないね。
推しのVはデビューから来月で半年、かれこれ5ヶ月追っかけている。
配信はほぼ全部見てしまっているしVにリプ送りたくてサブアカウント作るくらいには心酔しているが、一応ガチ恋って訳ではない。酔ってる奴の「酔ってないよ」くらい信用がないかもしれないが。
毎日配信があって配信者によってはリプライやいいねを飛ばしてくれて、これまで以上に生活に密着して来るのでアイドルや声優と比べて依存度も段違いだ。
裏返せばこの距離の近さと生活と隣り合わせの臨場感がVコンテンツの魅力なんだと思うが。
(つか、冷静に考えると声優がアイドル並みに偶像崇拝されているのもある意味異常な話だよなとなる)
心からの笑顔になれる時間が精神的な支えになって、最近は鬱になってもすぐ立ち直れるようになった。
推しのVは度々、「ずっと一緒にいようね」と言ってくれる。
童貞には極上の甘言だ。
だが本当にそうなのか?
ネガティブ思考なのですぐに良くない未来について考えてしまう。
この先、ファンが増え人気が出て巨大コンテンツになるだろう。間違いない。
今は視聴者という支えが無ければ生活出来ない共依存に近い関係だが、人気が出たら投げ銭をする人間はもっと増える。
そうしたら低所得の俺が側に居る必要はあるのか。
そんな疑問に何度もブチ当たってしまった。
割とツッコミ所だらけの論理ではあるが、でもアイドルないし声優などを応援していたらこんな想像をしないだろうか?
相手にとっての「永遠」は、俺にとっての「永遠」ではない。逆に俺が「永遠」を願っても、どうしようもない都合で推しが消えてしまうかもしれない。
信仰に翳りが見えてチラチラと現実が流れ込んで来ると夢から醒めるような感覚に陥る。イメージ的には、世界改変系能力食らったキャラがここが夢だと気付くシーンみたいな感じだ。
やっぱり騙し騙されのなあなあな世界なんだよな〜と思う。
結局自分も都合の良いように貪る消費者に過ぎない訳だし。
どこにも絶対は無い。
だからこの蜃気楼みたいで曖昧な時間は今しか無いし、それ故にこの楽しい時間を永遠のように噛み締められる。永遠って一瞬の中にしか存在しないと思うから。
ぐちゃぐちゃと論理が乱れたが、結論は「推しは推せる時に無理なく推せ」と言われてるし、これからも今まで通りマイペースに楽しんで行けたらいいなって思う。
そんなこんなで都合の良い夢が気軽に見られるVってかなりお手頃な娯楽だよなぁってお話でした。
何でこんな気持ち悪い話したかと言うと、かなりエグめの声優の彼氏バレを見てNTRスイッチがゴリゴリに刺激され躁になったは良いが、今になって「それは自分を拾ってくれたコンテンツに対してあんまりにも不誠実だろ」って哀しくなってしまったので思わず吐き出したくなってしまったんですよね。
出力した結果がこれなのは、大分謎ですが。